B−CULTURE

  ROCKとR&B

「ミスターロックンロール」、「ロックを作った男」といわれ、通称「ムーンドッグ」と呼ばれた
「アラン・フリード」は音楽番組の白人DJ。(右の写真→)

1951年のある日、「Rock’n’-Roll」という 新しい音楽シーンが生まれようとしていた。
アラン・フリードが大きなレコード店へ行ったところ、白人の若者達のほとんどが
黒人のR&Bのレコードを買っているという光景を目の当たりにし、強い衝撃を受けた。
当時は黒人と白人の人種差別が激しかったため、一般的に白人が黒人の音楽を公に聴くことはなかったから。
白人はカントリー&ウエスタンを聴き、演奏し、愛していた。それが ”あたりまえ” だった。

その時彼は、自分の番組でR&Bをかける決心をしたが、黒人のR&Bというと白人のリスナーから批判 されることを不安に思い、
ある事を考えた。

1930年ころから、「ロック」と「ロール」という言葉は別々には存在していた。
その言葉は黒人の間で、人間の欲求などを歌っていたブルースの汚い、いやらしい部分を指して使われていたスラングだった。
そして使われるうちに「F**K」の表現にもなっていったという・・・。

そのスラングとして存在していた「ロック」と「ロール」という言葉を組み合わせ、
「アラン・フリード」は「ロックンロール」という新語を考え出した。
そうやって彼は音楽の黒っぽさを隠し、自分の番組でかける音楽の総称として「ロックンロール」という言葉を使い、
圧倒的な支持を得て、彼の名も音楽も全米に広がっていった。
アメリカの白人達は、その言葉のおかげで 公に聴くことができ、R&Bを演奏しやすくなったという。

1956年にR&Bに大きく傾倒していたエルヴィス・プレスリーのテレビ出演によって、更に若者達の間で人気は急上昇!!
でもプレスリーは大人達からの評判は悪かった・・。黒人の持つ、危険なセクシーさに憧れていたプレスリーは、
服装や髪型、身振りまで黒人の真似をしていた。
だから白人の大人達は、まるでプレスリーが黒人であるかのように嫌悪したのだった。

デビュー前からプレスリーは、悪名高い歓楽街”ビール・ストリート”へ出かけては、黒人がたむろする店へ立ち寄ったりもしていた。
ラジオもお気に入りは黒人ラジオのWDIA や WLACっだった。
「ホワイト・ニグロ」と呼ばれるようになっても彼は 「僕がやってることなんて、黒人がずっと歌って、演奏してきたことだよ。
 僕の知ってるずっと前からね。 ただ、僕が手を加えるまで 誰も気にとめなかっただけさ。」 と彼は語ったという。

その後もプレスリーより優れた「ホワイト・ニグロ」として現れたアーティストの中に、
「ミック・ジャガー」がいる。英国人のミック・ジャガーは、黒人らしさとは何か・・?について考え、自分なりの思想を発展させた。
R&Bの変化に常に気を配り、自分の音楽に反映させていたという。

つまり「Rock’n’-Roll」 とは、もともとは黒人のR&Bを指し、その後白人がカヴァーしたR&Bを指すようになり、
カントリーやウエスタンの要素を取り入れながら変化、進化を繰り返した結果の音楽だといえます。
エルヴィス・プレスリーなどに代表される、白人の「ロックンロール」誕生の大きな発生基盤になったのはR&Bなのです。
そして「アラン・フリード」、ミスターロックンロールは今は伝説のDJ。